こんにちは。ままくろです。
赤ちゃんの時はどんなに甘やかしても罪悪感はなかったのに、1歳を過ぎるあたりから徐々に甘やかしについて悩み始めることはないですか?
言葉をしゃべるようになった頃から考え始めました。
段々と気になってくる「わがままと甘え」の境目
0歳児と1歳児の子育ての違い、それは「甘え」について迷い始めることでした。赤ちゃんの時は、いくら泣きわめいても叱ったりしませんし、甘やかしているとも思いません。
でも、1歳を過ぎると自我が段々出始め、嘘をついていたり、わがままを言っていたり、こちらの行動をある程度理解しているうえで要求してくるようになります。
朝や夜のバタバタしている時、自分がぐったり疲れている時、余裕が無くて、ムキ~ッと感情的にイライラしている時、自分に余裕がない時は、子どものわがままとあまえの境目はよくわからなくなります。
「叱る」ということは自分の気持ちを見つめるとセーブのイメージが持てるのに、「甘え」と言われるとどこまでして良いかわからなくなるのです。
幼少期、親に思いっきり甘えた経験の記憶がない
幼少期、親に甘えた経験の記憶はどのくらいありますか?
私は厳しくされた記憶がすごく強くて、心から甘えた記憶はほとんどないです。物質的には不自由ない暮らしをしていたと思うのですが、母や父の膝でのんびり・・・といったゆったりしたイメージは湧いてきません。全てでは無いですが、多くの記憶が、叱られたり我慢したりしているイメージです。
だからなのか、我が子が自分に甘えてくると、すごく嫉妬の気持ちが浮かび上がってくる時がありました。私は我慢していたのにな、こんな時は叱られていたのにな、とみじめだったり悲しかったりしたんです。
自分が必要以上に子どもを叱ったりしないか、またちゃんと受け止めてあげられるかどうか、出産する前から不安に感じていたのですが、育児の中でも度々悩むことがありました。
子どもを甘えさせられないんじゃないか、と思ってしまうのです。
旦那と育児方針が合わない葛藤
また、子どもを「叱る」「甘やかす」タイミングが、旦那と全然違うことも悩みでした。
朝の食事や身支度は旦那中心で回すので、口を余り挟まない様にしているのですが、すごく「叱る」場面が多くて、ヤキモキしたり、逆に休日は私が子どもにガミガミ言っていることが旦那には煩わしく感じるそう。
また、「褒めて→叱って→褒める」をベースにしたい私に対して旦那は「叱って→褒める」が多く、子どもへの伝え方で度々衝突します。
正解のない世界なので、旦那との一貫性って重要なんじゃないか、とも思うのですが、これも中々思うようにいかないこと。せめて自分の中だけでも一貫性のある状態にしたい、と思って、迷う度に読み返している本が「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」です。
この本は、私にとって年配の保育士さんの様な存在。
分かっちゃいるけどできてない、痛い所つくなあ~という印象。だってわがままも含めて全部受け止めて、甘やかして、ありのままを受け入れて、と切々と語ってくるんです。
子どもの心と身体は、勝手に育つ?
「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」を読んでから知ったのは、甘やかしは抱っこやおんぶ、わがままを聞いてあげることだけじゃなくて、散歩、絵本を読むこと、一緒に歌うこと、小さなうそを受け入れてみるのも甘やかしなんだそう。待ってあげる、というのも甘やかしの一つ。(待つっていうのが一番難しいと個人的には思いますけど)
“抱きしめる””好きと伝える”という様な事じゃなくて、それも大事なんだけど、形じゃなくて心が繋がるような関わりが自然とできるかどうかなんだよね、、、と読み返す度に反省します。
後は、思春期になってもあまえは大事、という未来についても書いていて、いつか来たる反抗期への心構えも(心構えだけだけど)できます。
日々は上手くいかないことも多いし、心に余裕がないと受け入れることもできない時もあるけど、心が繋がる関わりは子どもが小さいうちこそ沢山したいなと思います。
子どもの身体は勝手に育っていくけど、心は一緒に育っていきたいな、、と思う母です。
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